本質学とは何か

  本誌『本質学研究』は、現象学の創始者エトムント・フッサールが提唱した「本質学」の概念にその名称の由来を負っている。

  しかし、フッサールによる本質学の理念は、初期現象学派と呼ばれるミュンヘン・ゲッティンゲン学派、ハイデガー存在論、サルトル、メルロー=ポンティと続くフランス現象学など、幾重にも屈折した歴史の過程でしばしば形而上学的に変奏され、必ずしもその本来の意義を保ち続けてきたとはいえない。

  フッサールの本質学の理念は、〈超越論的現象学的還元〉という根本方法を基礎とし、その展開形としての〈本質観取〉(形相的還元)の方法にもとづいて、人文的領域における普遍的学の可能性を志向するものである。すなわちそれは、哲学的探究の営みを、単なる事実をめぐる研究からも、認識や価値についての相対主義的議論や形而上学的議論からも解き放ち、哲学を「人間的な生の意味と価値の普遍的構造」の探究へと向け変えるべく構想されたものである。

   本誌『本質学研究』は、本質学をめぐるさまざまな原理的議論と、諸領域の本質を探究する実践的試みとを通して、「事実学」を超えて「本質学」へという、フッサール現象学の本来の理念の再興を目ざす。したがって本誌は、これからの現象学的探究の一つの指針を示すことを企図しているが、それは同時に、現象学運動の一つの展開形として現われるであろう。

《学問的で客観的な真理というものは、もっぱら、世界、すなわち物理的および精神世界が事実として何であるかを確定することだとされてきた。だが、もし諸学問がこのように客観的に確定されるものだけを真理とみなし、また歴史が、精神世界の一切の形態や人間の生活を支え規定するもの、理想や規範といったものは、つかの間の波のように形づくられては消えゆくものだということ、(略)また、つねに理性は非理性となり、善は禍悪へと変わりゆくものだということを教えるにすぎないものなら、世界と世界に生きる人間の存在は、真に意味をもちうるだろうか。》(エトムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第2節)

竹田青嗣
西研
2015年7月1日

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